農家の長男に生まれながら、医者になることを志した父の兄、五味勝は諏訪中学から東北帝大の医学部を出て、仙台で開業した。恩師の娘を妻に貰い受け、その人生は順風満帆かに思われた。ところが当時不治の病であった脊髄カリエスを患ってしまい、田舎に帰り、自分で自分を治療する日々を送る身になってしまった。進行する病に治る見込みがないことを悟った勝は、結婚したばかりの最愛の妻を実家に戻し、ふるさとの家の離れで病を養った。志半ばで挫折してしまった勝の鬱屈を慰めてくれたのは、ふるさとの自然とロシヤ文学とカメラであったようだ。書棚にはたくさんの蔵書が残されていたが、その中のトルストイの「復活」を呼んだ小学生の私は、「この世の中にこんな面白いものがあるのか」と衝撃に近い感動を受けた。伯父の蔵書を読みつくした私は小学校、中学と図書館の日本文学全集、世界文学全集を全て読破し、文学への目を開かれて行くことになる。「万巻の書を読み、万里の道を行く」という文人哲学を私が持つようになったその原点は、この叔父が遺してくれたトルストイの「復活」にある。それにしてもかえすがえすも残念なことは、叔父が命を削って遺してくれたふるさと原村の写真の乾板をすべて破棄してしまったことである。伯父の目を通して見たふるさとの姿を見ることは、もう永久にできない。
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