労働基準監督署で働いていたころ

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昭和22年に労働基準法ができ、平塚さんは翌年、高山の労働基準監督署に就職した。母は体が弱く働けず、戦死した父の恩給も途中で支給されなくなり、弟の学校の授業料も必要で、平塚さんが一家の大黒柱として働いた。
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