MEMORO 「記憶の銀行」
記憶
テーマ
語り手
地域
メモリーシーカー
ホーム
|
運営者
|
MEMOROとは
|
ニュース
|
メディア
|
サービス
|
プロジェクト
日本
イタリア-イタリア語
米国-英語
英国-英語
ドイツ-ドイツ語
フランス-フランス語
スペイン-スペイン語
スペイン-カタルーニャ語
ベネズエラ-スペイン語
アルゼンチン-スペイン語
プエルトリコ-スペイン語
カメルーン―フランス語
日本-日本語
ギリシャ-ギリシャ語
ポーランド-ポーランド語
Korea
Finland
Austria
ログイン
ユーザー登録
B29の襲来 (Air Raid of B29)
Loading video
共有
埋め込み
テーマに追加する
お気に入り
コメント
キャンセル
閉じる
Url:
Embedded:
キャンセル
ログイン
閉じる
ログイン
語り手
永井正彦
| 1933
投稿者
Takashi Aihara
| 2010/07/12
終戦当日まで日本の敗戦は信じていなかった。戦争の末期(中学生当時)になるとB29が襲来して来て、町内の男たちはB29に対抗するために竹やりを持ったり、近くの高射砲陣地から対空砲火をするものの、B29までは届かず無念の思いをする。
その様な状況でも日本が負けるとは思っていなかったが、そのB29からの爆弾攻撃で火の海と化していた。数日後、焼け野原となったとこからは、建物が無くなっていたために横浜港まで見える状態であった。非常に怖い思いをした。
タグ
B29
空襲
敗戦
中学生
竹やり
高射砲
対空砲火
爆撃
爆弾
保土ヶ谷球場
横浜港
投票する
再生回数 9724
ログイン
コメント数
0 個
コメントする
ログイン
同じ語り手の他の記憶
関連する写真
絞り込む :
|
3.3 分
お寺への集団疎開 (Group Evacuation to a Rural Temple)
永井正彦
投稿 5293 日前
再生回数 9557 回
3.1 分
集団疎開中の遊び(How We Played during the Evacuation)
永井正彦
投稿 5282 日前
再生回数 10765 回
3.8 分
終戦後、大人は変わった
永井正彦
投稿 5246 日前
再生回数 7896 回
1.3 分
先生たちの恋 (Teachers in Love)
永井正彦
投稿 5275 日前
再生回数 9854 回
記憶をすべて見る
この記憶に写真を追加しますか?
写真の投稿はこちらから
登録されているテーマ
関連する記憶
絞り込む :
|
3.3 分
豊島区の上水の歴史
和田享三
投稿 4987 日前
再生回数 7285 回
3.3 分
浜松での戦争体験②
寺垣 武
投稿 4988 日前
再生回数 6759 回
5.5 分
第二次世界大戦中の記憶
木ノ下 つや子
投稿 4746 日前
再生回数 6274 回
6.3 分
戦時中の話
寺垣 武
投稿 4988 日前
再生回数 7094 回
記憶をすべて見る