若宮さんが体験した昭和19年ごろの学童疎開についての話です。
小学校3年生の時に学校単位で、長野県の鹿教湯温泉に集団疎開をしていました。
当時の宿舎は温泉旅館を利用し、男子寮と女子寮にわかれて生活をしていました。
疎開時は、小学校3年生から6年生まで集団で生活をしており、寮では3年生と6年生の学童が同じ旅館、それと4年生と5年生で同じ旅館で生活をする体系でした。
両館ではご飯を食べられてはいたが、戦況が厳しくなるとともに、粗末な食べ物しか口にできませんでした。
また、子供達だけが疎開をするのではなく、会社自体が地方へ疎開をするという事もありました。会社で疎開した体験も話をしています。
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