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語り手
野本 勝子
| 1924
投稿者
Takashi Aihara
| 2010/02/07
野本さんは、少なかった女性従業員として働いていました。
給料の使い方は、全額を一旦親に預けてから、少しずつもらって欲しい洋服を買っていました。当時はまだ既製服がなく、オーダーメードでの仕立てとなっていました。
仕事の内容は、会計として給料の計算を行っていました。
戦時中は職場から輸送船団を見ながら、無事に帰れるように祈っていました。
ある時のお昼時間帯では、扇島まで遊びに行ってカニや貝を取り、会社の食堂で料理をしてもらって食べていました。
タグ
横浜
女性従業員
女性の会社員
給料
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洋服
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輸送船団
既製服
オーダーメイド
扇島
お昼
カニ
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昼食
戦時中
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